2013年9月20日金曜日

[NYへの旅] 4. ヒルダガードの家




【ヒルダガードの住居と前庭。入り口から玄関へのドライブウェイ。左側に何本かの巨木のある広い前庭が見える】

2日目 3月17日(日) その1

昨夜、たっぷり睡眠をとったので、心地よく起床。
カーテンをひくと、夜のうちに雪が降り、鹿やラクーンの足跡が残っている。またヒルダガードが嘆くタネができたことだろう。年ごとの新芽の季節には、鹿と闘争をしている様子が伝えられているのだから。

朝食後、庭に出ると、動物たちの置き土産があちらこちらに堆積している。それも新芽と蕾をつけたクリスマス・ローズの周辺に多い。
「5頭の鹿の群れが、毎晩やって来るのよ」と、ヒルダガードはお手上げ状態なのに、夫は「たくさん来たなあ。置き土産は肥料になるよ」と余計なことを言い、彼女に睨まれた。

数本のマグノリアの大木には、2メートル高さの金網が巻かれている。
ラクーンはテラスの下に巣を作るので、住宅の土台に沿って、これまた立ち入り禁止の金網が張られている。
群生するクロッカスやスノードロップが、見事に咲き誇っている。これらの被害がほとんどないのは、鹿たちの味の好みにあわないのか。

ヒルダガードが住んでいるウエディング・リバー村は、ニューヨーク市から東へ突き出したロング・アイランド(長さは東西189キロメートルある)の中央部辺り。
アメリカ合衆国建国以前にイギリスからやって来た植民者が切り拓き、17世紀後半には村ができた。アメリカとしては古い歴史がある地域だ。海岸は近いし、林は多いし、湖や池が点在する自然環境だから、鳥類、小動物が多く棲んでいる。
北の対岸にはコネチカット州のブリッジポートやニューヘブン港があって、フェリーを利用する通勤客も多い。

かつての植民指導者の広大な林と邸宅が、現在は分譲され、公立のキャンプ場や集会所などの施設、あるいは、ニューヨーク市に住む人たちの週末や夏の住宅になっている。

ヒルダガードは、敷地入口の土地と”馬小屋”を購入した。
まず馬小屋を全面的に改造し、数年後にさらに増築した。それらすべてを手がけたのが、クラウディアの夫で、住宅のメインテナンスも行っている。

「気に入っているの。快適な住まいだから、ぜひ来て・・・」と、だいぶ前から誘われていた。だが、”馬小屋”のイメージが強く、具体的な住居空間は訪れるまで想像できなかった。ひょっとしたら、馬特有の臭いが残っているんじゃないかと思ったこともあったが、まったくの杞憂だった。
「これが馬小屋だったなんてねえ・・・・」とびっくりし、愚かな想像をしたことを恥じた。

増改築には、馬小屋の古い資材が活かされ、貫禄のある飴色の太い柱や梁が、白い壁に映えて、素晴らしい。
柱に沿う細いパイプに触りながら、「これ、なんだかわかる?」と聞かれ、「はてね?」と戸惑った。セントラル・ヒーティングで家中の暖房をするので、スチームを通す管だった。
台所には、IHヒーターやオーブン、食洗機など、最新の電化機能を備えている。
ベッドルーム4室、シャワーやトイレは数カ所ある。
緑が溢れるサンルームはコンピューター・ルームを兼ね、目の前に広い庭が広がっている。「ここは増築した部分で、もっとも利用している部屋。とても気に入っているのよ・・・」。

住宅は村の中心部にあるふたつの道に面しているけれど、大きな樹木がぐるりと囲んで、閑静だ。

「こんなに広いと、ひとり暮らしでは、維持がたいへんねえ・・・」と心配した。
「そうなのよ。家のメインテナンスは、クラウディアに相談してやってもらうし、庭の手入れは、近所に住んでいるグァテマラから来た人に頼んでいるの。お隣りの境界にある垣根は、だいぶ前にシンジが刈り込んだことがあるのよ」と笑う。
「あそこだったの?」。
20数年前、留学中の次男が感謝祭の休暇を彼女の家で過ごし、「垣根をきれいに刈り込んだ・・・」と便りにあった。日本の自宅の庭では、一度もそんなことをしなかったのにと、呆れたことを思い出した。



2013年9月18日水曜日

[NYへの旅] 3, ロングアイランド高速道を走る




【ロングアイランドの地図、左端にNYCの中心、マンハッタンがある】

1日目 3月16日(土)その2

JFK空港に降り立つと、ヒルダガードともう一人の女性が待っていた。出発前の連絡で、リムジンを利用することになっていたので、てっきり運転手だと思った。
「ハアーイ。やっとアメリカにやって来たわ。お元気?・・・」
「もちろんよ。すべて順調だった? こちらはミヤコとマサシ。クラウディアが家まで運転してくれるの」。
再会を喜び、矢継ぎ早に話す。ハグを交わす様子を、ニコニコとしながら眺めている女性が、クラウディアだった。

ロングアイランド高速道(495号線)沿いに人家が増え、防音壁が延々と続いている。林の中にポツンポツンと点在していた家々が見えなくなって、無粋な風景に変わっている。

大都会の住民が眠る広大な墓地が現れる。
「墓地は変わらないなあ。初めて見たときは、強烈な印象だったけれど・・・」と、妙に安堵しながら、呟く。

以前は中央分離帯は広い草地だったが、それが消えて片道3車線に増えている。
マンハッタン島からしばらくはかなりの交通量で、様変わりしている。

クラウディアが言う。「1人だけ乗っている車は、左端の追越し車線は走れないのよ。私たちは4人乗っているから、大丈夫。見て。あちらの車線は混雑して、スピードは遅いでしょ。ガソリンを節約するためのエコを奨励する交通法で、1台の車に複数の人を乗せるためなの」と言いながら、スピードをあげる。
見ていると、ほとんどの車は運転者だけだ。追越し車線を走る車はとても少ないから、ますますスピードが出る。

犬を連れ、道路脇に立っている数人の警察官が、やって来る車を停めている。
横目で眺めながら、「事故じゃないのよ。ときどき見かける麻薬取締官ね。通報があったのでしょ」と説明する。アメリカの何でもありの現実の一端だが、この国だけではないな。最近の日本でも監視カメラが多くなって、犯罪には効果的だし・・・。

1時間ほど走った頃、昔懐かしい風景になり、やがて馴染んだ高速道路出口を降りたので、ホッとした。

12時半にヒルダガードの家に到着。
クラウディアが「またお会いしましょう」と、帰っていった。「私たちのために、1時間半の距離を運転するなんて・・・」と恐縮した。
ヒルダガードは、「彼女と私は、お互いに頼まれたり、頼んだりの間柄なの。私は、歳をとってからニューヨークへは電車かバスを利用して、車では出かけないの。大きな荷物があるのだから、これがいい方法だと思ったの」と、目配せした。

後になって、空港から家まで運転したクラウディアは、同じ村に住んでいる建築家の夫人だと知った。ヒルダガードが新しい住居(馬小屋!)を買い、その増改築を依頼したのがクラウディアの夫だった。
クラウディアが花屋を営んでいたので、現在も近辺の公共施設やホテルの花の飾りつけをしているとか。それに、50歳代後半!と若い。

到着後、滞在中の過ごし方を相談。
すでに毎日何らかの予定がある。その様子は追い追い日記に書く。
昼食と夕食を除けば、就寝まで、次々に話が続き、とうとう「今晩は早めに寝たいわ」と立ち上がった。

2013年9月15日日曜日

【NYへの旅】2. ニューヨークへ旅立つ




【ケネディ空港着陸直前。眼下に見えているのは、ジャマイカ湾の南端を縁取るロッカウェイ地区】

1日目 3月16日(土)その1

長い1日だった。成田空港発が11時で、諸手続きに時間がかかる。逆算すると、当日水戸から出かけるには慌しい。昨日は空港近くのホテルに泊まった。
日本出発前夜の恒例で、無事な旅を祈って和食で乾杯した。

夫は5年ぶり、私は15年ぶりだから、久しぶりのアメリカへの旅になる。
9、11事件以後は、どこの空港でも出入国審査に時間がかかっている。だが、アメリカ行きの、聞きしに勝る厳しい審査には驚いた。
通関手続きでは、旅券を念入りに眺め、顔写真を撮り、指紋を押し・・・。
どこの空港でもやることだから、まあ、これはお仕事だと理解する。

さて、出国審査の第1段階。コート、カーディガン、帽子、ベルト、靴、手荷物など、ひとつづつトレイに乗せ、ベルトコンベヤーで運ばれてX線でチェック。
人間は裸足になって、手を上げる降参スタイルでX線を通ると、頭から足先まで長い棒(探知機か)と手で、ボディチェック。
第2段階。X線で確認されたはずのパソコンは、今度はケースから出し、起動のスイッチを入れさせられた。もちろん手荷物のすべてを広げ、ひっくり返して隅々まで確認。どうやら人によってチェックの難易があるらしく、夫はスイスイと手続きを終え、もたついている私の様子を眺めている。

チェックが終わると、靴を履き、コートを纏い、荷物を元に収め・・・。
上気した顔と汗だくの身体の不快さで、次第に旅立つ気持ちが萎えていった。
テロを回避するためには当然だろうし、致し方ないか。だが人間不信丸出しのチェックには気が滅入った。
「アメリカへは、もう出かけることはないだろう・・・」と感じながら、搭乗口へ向かった。

日本時間では昼食だが、たぶん夕食になるらしい食事が終わると、後はひたすら飛行に身を委ねるだけだ。

映画「リンカーン」を観ているうちに、集中力が途切れて眠くなり、1時間ほど仮眠した。東への飛行は日付変更線を越えるし、ずっと夜が続く。機内も夜のムードで、大半の乗客は眠っている。ニューヨーク時間に時計を合わせると、朝の6時10分を差しているのに、空は暗い。予定では10時半着だから、まだ4時間もある。

7時半、機内のライトがついたが外は闇だ。すでにサマータイムが始まっているから、なおさら日の明けるのが遅い。眼下には、家々の灯りが瞬たいている。車のライトから道路の方向が掴める。

8時。窓外が仄かに明るくなって、朝焼けの地平線の丸みが、広がっている。
アメリカでは朝食になるサービスが始まると、食いしん坊の夫は「夕食が抜けたなあ」とぼやいている。「食べるだけで動かないのだから、ブロイラーになる」と冷やかす。

目の前のパネルで、飛行ルートを眺めていると、意外に地名が面白い。
いつ頃、誰が、どんな背景で名付けたのだろうかと、想像が拡がって行く。
「グラスゴー」がある。スコットランドからの植民者が出自を留める望郷の念からか。
人を食ったような地名が次々に現れる。「デビルス」のつく地名は、たいへんな経験をした人々の気持ちが込められている感じだし、「リサーチャー」は文字通り、開拓者の調査探検を表したのだろう。「クレイジー」なんて、ここに住む人がやけっぱちになっているようで笑ってしまう。
「ニュー」をつけた単純な地名は、植民者の出身地に違いない。
訪れるニューヨークは、17世紀初頭からオランダが進出してニューネーデルランドを領有し、拠点として1626年にニュー」アムステルダム市を建設したのが始まりだ。その後の何度かの英蘭戦争でイギリスが勝ち、1664年にイギリス領になった。当時のイギリス王ジェームズ2世(ヨーク公)に因んで、ニューヨークになった。

地名から連想して、そこに住む人に対して想像力を逞しくし、アメリカの開拓・植民時代の歴史に思いを馳せて、退屈しなかった。

2013年9月14日土曜日

ニューヨークへの旅日記 『はじめに』





2013年3月16日(土)〜3月29日(金)
(成田空港近くのビューホテルに、15日に前泊し、29日は後泊。水戸の自宅には3月30日に帰着)

ひょんなことから、ニューヨークへ出かけた。
昨年(2012年)秋、ニューヨーク郊外ロングアイランドに住むヒルダガードと賭けをしたのだ。「アメリカ大統領選挙でオバマが再選されたら、ニューヨークへ出かける」と。

賭けをする伏線はあった。
ここ数年来、繰り返されてきたヒルダガードの誘いが、気になっていた。
今実現しなければ、おそらく再会の時期を失うかもしれない。そんな予感がした。
元気に旅をすることが当たり前だと思っていたのに、旅をする気構えに変化が現れている。気持はまだまだでも身体はそろそろで、無理が効かない。日本を旅立つと「ひょっとして、この旅が最後になるかもしれない」と思うようになった。
それが、賭けという形で後押しをしたのだ。

2012年11月20日。オバマの大統領当選が決まるとすぐ、アメリカ訪問の気持をメールでヒルダガードに知らせた。早速、メールがあった。
「3月21日(木)には、私が企画する2012年度最後のオペラ”のファウスト”があるの。以前、ドレスデンで一緒に観たグノーの”ファウストの劫罰”とは違うけれど、それを一緒に観ませんか」と。
ヒルダガードは、地区の図書館で十数年にわたってオペラ鑑賞や美術展の企画をしている。折に触れて、企画内容の詳細は伝えられ、興味があった。

こうして3月16日からロングアイランドのヒルダガードの家に8泊し、後の5日間はニューヨーク・マンハッタンの「パレス・ホテル」に滞在する。オペラ鑑賞前後のニューヨーク行の話が、具体化して行った。

5月初めの新緑の頃のニューヨークは素晴らしい。その季節に出かけたいと考えたが、オペラに拘って3月半ばの出発を決めた。
案の定、滞在中に雪が何度も降り、氷点下になる日が多く、寒かった。
だが、以前からの友人との再会や、ヒルダガードの知人・友人との知己を得て、温かい楽しい時間となった。

その間の詳細が日記にあるので、「ニューヨークへの旅日記」として整理したものを、これから紹介する。